料理とカブトムシの関連性について

二〇二三年一月二十六日

 寒い日が続くので、お客様が来られて着席された時にまず温かいものをつまんでいただけたらいいな、と思ったのです。最初は小さなカップに何かポタージュでも、と考えたのですが、メニューにコンソメスープが入っているので、フィンガーフードのようなものの方がいいかなとあれこれ検討して、タルトレットをお出しすることにしました。

 脳裏をよぎったのは、かつて修業をしたフランスの「ラ・コートドール」でやっていたグルヌイユのタルトレット。小さなタルトにしっかり水分を飛ばした玉ねぎのスライスとグルヌイユ(カエル)のもも肉のソテーを乗せたものでした。グルヌイユには少しだけクリームをからめていたような気がするのですが、当時の「ラ・コートドール」は「水の料理人」と呼ばれた故ベルナール・ロワゾー氏がシェフで、極力脂肪分を使わないレストランだったから、ぼくの記憶違いかもしれません。

 さてどうしようかと思っていたのですが、毎朝行く市場の八百屋さんの店先に下仁田ネギが積んであったので、それを使うことにしました。群馬県では焚き火の下に土がついたまま放り込んで、焦げた周りを取り除いた芯の部分だけ食べると聞いていたので、ひとまずアルミフォイルに包んでオーブンでローストに。もういいだろうと思って開いてみると、ずいぶん柔らかくなっています。焦げた部分や周りの繊維質の部分をとりのぞいたそれを、滲み出た透明の液体と一緒にミキサーにかけるとピューレ状になりました。あらかじめ緑色の部分は切り離してあったので、出来上がったピューレはクリーム色です。味見をすると加糖したのかと思うくらい甘い。塩味で調整して、第一段階は終了です。

 問題は緑の葉の部分です。下仁田ネギの半分はそれですが、出荷された段階ですでに萎びているので、先っぽが茶色くなっているものが多い。これは白い部分の芯に美味しさが凝縮されるように、ある程度熟成というか乾燥させてから市場に出されるからだと思います。だから、この部分は普通使わないで捨てるようですが、なにしろSDGsな時代、なんとか使いたい。そこで緑色の部分を切り取り薄く刻んで、バターでひたすら炒め、オニオングラタンで使うような状態にしました。味は少し苦いけれども、やっぱり甘くて、しかもネギの香りがしっかりします。

 普段なら野菜のピューレにはバターやクリームを足して味を強化するのですが、これは全くの塩味だけで充分。ムッシュロワゾーの笑顔が思い浮かびます。そこで気を良くしてタルトレットに緑のピューレを広げ、続いて白いピューレを伸ばして完成、のはずだったのですが、これが想定外の地味な出来。コース料理の出だしにこれでは全くテンションが上がらないであろうという見た目の悪さです。いきなりやる気をなくすワタシ。せっかくここまでやったのに。

 料理は美味しければそれで良い、と言うのはまさしく正論です。でも、ほんの少し手を加えると印象が変わって、より食欲が増す、というのも間違いではありません。もちろんやりすぎはいけません。昨今の料理に多いのですが、見た目を重視し過ぎるあまりに迷走するのは本末転倒です。それでは、このタルトレットにどう一手間を加えれば良いのか。味自体はほぼ完成しています。それを崩さない第三の要素とは。

 いろんなものを当てはめるのですが、どうもしっくりといかない。葉っぱも花も軽薄すぎる、さりとてエビやホタテだと方向が変わってしまう。生ハム、ベーコン、サラミ、違うなあ。そうして思うのです。たかがフィンガーフード一つに何でこんなに悩まなあかんのか。それともオレにはセンスがないということなのか。
 昔の哲学者の言葉を思い起こします。「迷いは頭上を飛び回るカブトムシのようだ。でも、その足に一本の細い紐を結んでおけ。そうすれば、いつか疲れて落ちるカブトムシを手のひらに乗せることができるから、そのときゆっくり正体を見れば良い」。
 カブトムシの正体を見つけました。それは露地物でない、ハウスで作られた完熟の金柑だったのです。

 甘さを抑えるのは酸味です。金柑にはそれが適度にあります。そして完熟の甘さがシンクロする。また、食感もアクセントになるし香りも良い。では、スライスしてそのまま乗せれば良いのかというと、それも物足りない。見た目はうんとよくなりますが、まだ工夫が足りない気がするのです。そこで思い出したのがアプリコットのタルトです。フランスで最後に修業をした「ジャン・バルデ」のデザート。タルトに敷き詰めたクレームダマンド、その上に断面をキャラメル状に焼いたアプリコットが並んでいます。仕上げにラヴェンダーの花を散らして。これを「シェ・ワダ」でやったことがありました。そのときはアプリコットではなくて金柑だった。そうだ、あれでいこう。

 テフロンのフライパンに澄ましバターを刷毛で塗ってスライスした金柑を乗せ、火にかけて色づけます。色づいた側を上にして、それを温めた下仁田ネギのタルトレットに乗せ、赤と緑のマイクロリーフを一葉ずつあしらって。やっとできました。会心の作だと笑顔なワタシ。

 どうでしょうか。ちっぽけなタルトレット一つでも、これだけ考えているのです。組み合わせの妙についてもよく聞かれるのですが、そこには経験とか記憶とか、あるいは思い入れとかがあるわけで、決して天啓ではありません。センスとは、常にアンテナを張って同調するものを吸収した結果として自分の内側に形成されていくものだと思います。

 いよいよタルトレット一号の出番がやってきました。行け、とばかりに送り出しました。すると間髪をおかずに「次の料理、お願いします」の声がかかりました。えっ、もう終わったの、と問うと返ってきた答えは「はい、一口でパクッと」。

 料理人の幸福な時間はかくも儚いものなのです。

道野正『つむじ風の向かう場所』より

←戻る